2012年04月21日

母の命日

今日は母の命日です。

1998年4月21日48歳の若さで亡くなりました。


今朝、ふと

辛いことから逃げれば、更に辛いことが待ってる。

逃げずに乗り越えれば、きっといいことがある。

そんな言葉が頭をよぎりました。


そう、言えば今日母の命日だったわ~っと

思い出しました。うっかりしてました。



うちの母は、42、3歳の時に

胃の調子が悪くて病院に行ったら胃潰瘍だった。っと家族には言って

胃がんの手術を受けました。

そこから、5年目の検診もひっからず、一安心していた頃

咳が出始めたんですよね。
コンコンコンコン

当時の私は癌が転移しているなど、想像もしていなかったので

「もーーその咳うるさいなー。」程度にしか思っていませんでした。


1998年4月20日。

どうにも調子が悪いということで、

市民病院に診察に行ったつもりが、そのまま入院してしまいました。

「肺が炎症起こしてるんだって。ゴールデンウイークが終わる頃には退院できるかな」

っと言っていた母ですが(酸素吸入していて苦しそうでした)

病室から出ると、父は泣きながら
「肺に癌が転移してて余命数ヶ月だって」っと私に言いました。


そして、病院に入院した翌日のお昼ごろ。
母が危篤だと、

当時勤めていた会社に父から連絡がありました。


母は、私を呼んで

「お母さんもうダメだけど、あとはよろしくね。

お父さんとお母さんは他人だけど、お父さんとは血が繫がってるんだからね

あんたが思っているほど、お父さんは悪い人じゃないよ」っと言って

母のへそくりの隠し場所を教えてくれました。


最後のお別れに呼べるだけの親戚や、友人に連絡をして
病院まで、来てもらいました。

当時大学1年だった弟が病室に来るのを
母はずっとずっと待ってましたね。


そして、夕方。。。親戚友人みんなが集まる病室で、みんなに見送られながら徐々に意識が
なくなるように亡くなりました。

母が急に亡くなることなど想像もしていなかったので夢かもしれない。と思うほどの

突然の母の死でした。


今、あの日をこうやって振り返ると

誰にも病気で迷惑をかけず、最後までしっかりとした意識があって、みんなが見送りに集まってくれて

言うべきことは、全部伝えてから逝ける人なんて

そうそういないよ。
幸せな最期だったと思います。

私もいつか、母のように死にたいと思う。















  


Posted by カンちん  at 09:56Comments(7)母のこと

2012年03月19日

そんな理由

家の亡き母のお墓がない理由。。。。


そんな経緯を日記に書こうと思うと、3日分くらい日記が書けそうなので

1日分の日記に要約して、超特急でお話してみようと思います。

私の両親は、私が物心をついたころから、夫婦で小さな喫茶店をやってました。


24時間顔を合わせてたからかな

それはもう、両親は毎日喧嘩ばかり。。。


子供心に
結婚とは、破滅への始まり的な感情を植えつけられてしまった幼少時代でした。

(みしぇるさんに指摘された、両親のトラウマとは、このことだと思います)


時代の流れ&いろんな事情があって、両親の喫茶店は閉店しました。

不仲な夫婦でしたが、それでも再起を誓って、

両親二人で居酒屋を始めようとの準備中のことでした。

40歳半ばで胃がんの手術をした母でしたが、数年後の肺への転移に末期の末期まで
誰も気がつくことができず。。

一家の大黒柱のような母があっけなく亡くなり

悲しみに暮れていました。

父と大学生になったばかりの弟で始めた居酒屋も、順風満帆とはいかず

数年前、まだまだ借金を残したまま閉店してしまったのです。


そんなことから母のお墓は未だ建てることはできずに
去年13回忌を迎えました。

ずっとずっと、母のお骨をお墓に入れてあげることさえできずに
気にしてきました。


それでもいつかは、

父、弟、私。力を合わせて、お母さんのお墓を絶対建てるでね。

そう、目標にしています。

まず、父が頑張らんとね。
再婚してくれる人も並行して頑張って見つけてほしいよー。








  


Posted by カンちん  at 22:23Comments(2)母のこと

2012年03月18日

みしぇるさん

昨日、メイシーさんであった

どすごいブロガーさんの

みしぇるさんのスピリチュアルの会に出かけてきました。


昔から、スピリチュチュアル大好き、江原さんファンの私では
ありましたが

震災以降。何だか何も信じれん状態になり・・・

パワーストーンも放置状態。


みしぇるさんの話を友人から聞き、即。参加申し込みしちゃったんですよ。


親友達も、きっと

「どうだったどうだった??」っと聞きたいと思うんだけど

こうやってブログで書いちゃっていいのかやー??

っと葛藤しつつ。。


みしぇるさんと、私を含め6名が参加だったので

あたり障りない、自分に関する部分だけの感じでお話します。


最初に、オーラの色を見てくださることになり


みしぇるさん、私の顔をみるなり、

「いっぱい、我慢しているね」っと。

私のオーラの色は、参加者の中で一番弱くて色も判別できないくらい。
うっすら黄色だそうです。

元の色は、オレンジ色のようです。

自分自身は、赤とかオレンジじゃないかなーっと思っていたので

正直「私、死んじゃうのかな。。。」っと思いました。


今回、決められた時間は6名で1時間なので
聞きたいことは、いっぱいありますが、みなさんいろいろ聞きたくて

参加しているので、なかなか自分のことを率先して伺うのも申し訳ない。


そして、順番に今自分が一番気になっていること。聞きたいことを
順番に聞いて下さったんだけど


「今日も一緒に来てると思うんだけど、亡き母は、お墓がないことをどう思っているのか聞いて下さい」

っとみしぇるさんに伺ってみました。


「もちろん、一緒に来てますよ。お母さん、

何を言ってるの。お墓なんかに私はいないし、お墓のことで悩むことなんてないじゃない」

そんな感じだったかな。。。


「私は、母のことを忘れたことないでしょ」って。

うわ~~。お母さんっぽい答えで思わず涙がだーっと溢れちゃいました。


あと、みしぇるさんが

私の後ろに母とマリア様が見えるとおっしゃってくれました。


母の仏壇ではなく
自分の自宅の一番好きな場所にゆりの花を飾りなさいとアドバイスをもらいました。


こんな感じで、参加者の皆さんも、いろんな悩みの相談をして、

まるで江原さんのオーラの泉を生で見てるようなそんな気分で

わきあいあい、あっという間に終了。

みしぇるさん、メイシーさんのママさん

涙あり、にこやか笑顔ありの、素敵な時間を有難うございました。














  


Posted by カンちん  at 19:16Comments(4)母のこと

2012年01月17日

48歳と何年だっけ。

今日、1月17日を何となく感慨深く迎えました。
阪神大震災があって、たくさんの方が亡くなった日。そして

亡き母の誕生日でもあります。

1998年の4月21日に

48歳という若さで母が亡くなってもう、14年目です。

生きていたのなら、今日。62歳の誕生日を迎えているはずなのでしょう。

大好きな母が亡くなって、とても辛かったはずなのに
記憶とは悲しいもので、母がどんな声で、どんなふうに私と話していたのかすら

思い出せなくなりました。

あれから14年。
私には結婚して優しい旦那さんと子供が2人の家族ができました。
結婚してみると、本当に親のありがたみがわかりますね。

今なら、孫の面倒も見てもらえただろうし、一緒に買い物や旅行にも
行けただろうな。あたりまえのことできなくて、寂しいな・

親孝行したかったな。

今では実家に帰るのは、盆正月だけになちゃったけど

今日、今から花束でも持って仏壇の母に会いに行こうかな。

おかあさん、62歳おめでとう。






  


Posted by カンちん  at 17:54Comments(6)母のこと